○ 好き嫌いが少ない人は幸せだというイメージがある。本当だろうか。
○ 20代後半に、がくぜんとしたことがる。食欲が激減したのである。とにかくまずい。味覚異常かと焦ったりもしたが、どうもそうではないみたいだ。食材の中には、それまで以上においしく感じるものがあったのだから。
○ この変化は味覚だけでなく、読書や音楽、絵画などの分野にも及んでいた。たとえば、中学時代に愛読したある本などは読めなくなっていた。音楽のジャンルで具体的なことは割愛するが、二度と聞きたくない曲や作曲家が現れた。このように、多くの作家や作曲家が私の中で淘汰されていった。
○ 好悪の変化は、嫌いなものが増えただけではない。未知の分野に新鮮な発見があったり、あらたに共鳴する作家やジャンルは、いよいよ好きになる、という具合である。好みの何かが急激に変わりつつあったのだ。
○ 本物と偽物との違いが分かるようになった、などというつもりはない。ただ、自分なりの好悪の程度が極端になり、趣味の方向が明確になってきたというべきか。
○ 私は、この一連のシビアな変化に素直に従うことにした。自分の感覚を偽って生きるのは不本意である。思うに私の好き嫌いは、本物だけが生き残るという古典の成立過程に似ている気がする。
○ かくて、青い鳥を探す私の旅は続く。今後どんな「本物」に巡り会えるか楽しみだ。好き嫌いが自由に言える生活は幸せである。
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